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日々あったこと・感じたことの備忘録

下町散歩 ~日本橋編②~

三重テラスでは、

昨年11月に

三重県津市の高田本山専修寺の御影堂と如来堂の2棟が国宝になったそうで、

2階では解説や紙芝居、津市の試食会が行われていました。

 

三越前を通り、常盤橋へ。

 

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▲一石橋迷子しらせ石標

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渋沢栄一

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 ▲東京市道路元標

 

この後は、

オランダ船『リーフデ』号に乗組員らとともに

慶長5 (1600) 年3月豊後(現在の大分県)に漂着した、

W.アダムズ (三浦按針)とヤン ヨーステンの跡を見ることに。

 

中央通りを日本橋へ南下する途中、

日本橋北詰の手前を左に曲がると

按針通り。

また、お店とお店の間にひっそりと三浦按針屋敷跡が

ありました。

 

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三浦按針は、

イギリス人航海士で英国名ウィリアム・アダムス

日本名を三浦按針と言います。

德川家康から外交顧問として重用されると、神奈川県に領地を与えられ、

旗本になったそう。

 

東京駅を背にしてして

外堀通りを左に曲がった先、

横断歩道を渡った中央分離帯

ヤン・ヨーステンの碑があります。

(同じ場所にある平和の鐘を目指していくとわかりやすい)

 

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ヤン・ヨーステンの居住地は、彼の名をなまって

八重洲河岸と呼ばれるようになったと伝えらています。

 

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八重洲地下街にもヤン・ヨーステン像がある

 

つい、忘れがちですが。

江戸時代~明治・大正・昭和・平成と

それぞれの時代に作られた跡や像を見ると、

それらを経て今の東京があるのだなあ

いうことを思わずにいられません。